NO39.新しい学院体制

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新しい楽員体制

「もはや、戦後は終わった」という有名な言葉を残したのは1956(昭和31)年の『経済白書』である。戦後の日本経済が再建から成長期に入ったこの時期に、学院拡充の中核として働いたのが小宮孝院長(1902-75)であった。戦後学院の民主化の中で初代教職員組合長、キリスト教活動の中心となった宗教活動委員会の初代委員長、経済学部長などを歴任し、前任のアウターブリッヂ院長とその残りの期間を務めた加藤秀次郎院長を継いで、3期(1958~69)院長に選ばれた。大学では急死した大石学長に代わって掘経夫学長(1955~65)が選ばれこの期に3選され、矢内中学部長、河辺高等部長が小宮院長の下でそれぞれ学院の拡充に努めた。

 

1950年代にはのちに触れるように大学入学者数が徐々に増加し、それに伴って、教員の増加をはじめ教育研究環境の充実が図られた。そして小宮院長を中心とした新しい学院体制は、経済の成長による高等教育の急激な変化に対応して、社会学部、理学部を新設しただけでなく、経営・教育・研究の各方面にわたって戦後における学院発展の基礎を築き、また学院の民主化を達成した。これらの働きに感謝し、1974(昭和49)年、小宮院長に対して名誉院長の称号が贈られた。

1956(S31)年頃の上ケ原キャンパス
 
 
 
 
小宮孝 掘経夫   1956(S31)年頃の理事会/大阪グランドホテ