NO33.学内民主化と院長・学長の公選

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学内民主化と院長・学長の公選
1946年(昭和21)年1月の理事会は神崎院長を再選したが、同時にこのとき、原田脩一を専門学校長に選任した。また古武弥四郎理事を学長事務取扱とし、1947(昭和22)年になって、正式にアウターブリッヂ学長を任命した。
大学再開にあたり、文・法・経3学部の学部長は、教授会で選出された者を理事会が任命するという新しい方式をとった。これはやがて、神崎院長が1950(昭和25)年に定年退職したとき、次期院長を公選で選ぶ制度のきっかけになり、今田恵(1894-1970)文学部長が第6代院長に選任された(1950~54)。続いて第7代アウターブリッヂ院長(1954~56)。第8代加藤秀次郎院長(1956~58)へと受け継がれていく。
同時期、1951(昭和26)年アウターブリッヂ学長の退任にあたり、大学長についても公選制が実施され、第4代学長に大石兵太郎法学部長が選任された。しかし、大石学長は2期目の途中で病に倒れ、1955(昭和30)年堀経夫経済学部長が第5代学長に就任し、1966(昭和41)年に退任するまで、大学の発展に貢献した。
こうして学院の運営は、外国人宣教師から日本人の手へと移るとともに、規模の拡大につれて民主的な公選制を広範に導入した。学院は、キリスト教主義学校であるが、広く人材を得るため、院長を除いては、キリスト者以外の就任をも認め、組織の活性化を図ってきた。
教職員組合も、戦後いち早く1946(昭和21)年12月に結成され、のちに第9代院長となった小宮孝経済学部教授が初代組合長となり、学院民主化の一翼を担った。