NO32.戦後復興と新しい体制 復員学徒帰校

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戦後復興と新しい体制 復員学徒帰校
大阪、神戸の大都市およびその周辺が空襲によって焼土と化したにもかかわらず、上ケ原の学院キャンパスは幸いにもほとんど戦災を免れ、緑豊かな自然の中に迷彩を施されたままの学舎が残った。この年1945(昭和20)年の秋、大学から中学まで順次授業を開始したが、海軍から返還された校舎の修理復旧は思うにまかせず、翌46(昭和21)年からようやく大部分が使用可能となった。
同年1月神崎院長(1884-1959)は学院の局面を一新するために重大な決意をもって臨時理事会に臨み、院長・大学長・専門学校長の地位をいったん辞任したうえ、再選されて学院再建のための新しい体制を発足させ、自らその中心となってこれを推進することになった。
中学部では1945(昭和20)年4月に就任した畑歓三部長が終戦の日を含んだ約2年間、学院組織の変動や、学院再建のための幾多の困難を抱えた苦難の時期に重責を果たしたが、1947(昭和22)年6月に辞任し、その後任には文学専門部長寿岳文章が選ばれた。
1946年(昭和21)年、戦後初めての入学試験が行われた。大学および専門学校ではその前年が中学5年、4年同時卒業の年であったが、大都市の食糧事情および住宅事情も最悪の状態であったため、前年にいったん東京の大学や専門学校に籍を置いた者も翌年には再び関西の各大学を受験し直した者が多かった。そのうえに陸続として帰還してきた復員学徒や軍関係諸学校からの転入者を含めると、中学部を除いて学生数45年8月1,240人、45年11月1,963人と学生数の膨張は著しいものがあった。