NO28.戦時下の高等専門教育神学部の閉鎖

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戦時下の高等専門教育 神学部の閉鎖

 戦局が拡大し、戦争の長期化が進むにつれて、高等専門教育にも抜本的な改革が加えられたが、特にキリスト教主義を教育理念としてきた学院にとって、大きな試練のときを迎えねばならなかった。
  まず最初に大きな影響を被ったのが神学部であった。神学部は日本メソヂスト教会の牧師養成機関として出発したが、1943(昭和18)年4月、プロテスタント各派が合同した日本基督教団に属することになり、東京に日本神学校、関西学院に日本西部神学校が設立され、各地の神学校が統合吸収された。関西学院神学部はいったん廃止のうえ、日本西部神学校に吸収された。しかし1944(昭和19)年3月にこの西部神学校も日本神学校に吸収された。こうして、学院設立の目的の一つであった神学教育機関は失われたのである。このとき予科弁論大会で壇上に立った一学生が「神学部の廃止は関西学院の死を意味する」と叫んだことが語り伝えられている。
  さらに商業教育から工業教育への転換を計る文部省当局の意向もあって、1944年度から関西学院でも専門部文学部と高等商業学校を廃止して、新たに専門学校政経科とし、別に理工科が新設された。
  また同年文科系専門学校の入学定員が半減され、大学においても商経学部学生募集停止の措置がとられた。減少していく学生数とその学費収入の激減は学院財政を危機的状況に追い込んでいった。
  同年2月17日、学院の全教職員が図書館に集合して全員に辞表の提出が求められ、ほぼ20%にあたる人員の大幅削減の強硬手段がとられた。同年の「国民生活科学研究所」の開設は、残された教員の職場確保の機関という意味も込められていたのである。