NO26.報告団・報告隊結成 勤労奉仕・勤労動員

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報国団・報国隊結成 勤労奉仕・勤労動員
  1940(昭和15)年の秋、準戦時体制のもとで、文部省は国策に沿って大学教育そのものを新体制に切り換えるよう要求した。その一つが、これまでの学生会を解体して報国団へ改組することであり、1941年度よりの実施が通達された。学院では同年2月11日に関西学院報国団が結成されたが、これにつき当時の学生会会長は「関西学院新聞」(1941年2月20日付)紙上において、「歴史ある学生会解散に当たりて」と題する一文を掲載した。高等学部開設以来自治と自由の伝統を掲げた関西学院学生会はこうして解体させられたのである。次いで1941(昭和16)年8月8日発令の「学校報国隊組織に関する訓令」に基づいて、「関西学院報国隊」が同年9月12日に組織され、それ以降、学校教練や勤労動員に出勤する態勢が整えられ、学校教育そのものが非常時体制に組み込まれていった。
  1943(昭和18)年6月には「学徒戦時動員体制確立要綱」に基づいて、食糧増産のための農作業、軍事施設の設営作業や土木建設工事などに動員された。そして翌44(昭和19)年9月より「緊急学徒動員方策」によってほとんど通年にわたって航空機生産工場等の重要軍需工場へ動員されるようになり、授業はほとんど行われなくなった。
  1943(昭和18)年12月の学徒出陣の後、学院においても大学・専門学校に残留する少数の学生さえ勤労動員に駆り立てられ、1944(昭和19)年10月には勤労動員課が新たに設けられた。そして同年7月より、兵庫県三原郡陸軍飛行場設営工事、三菱電機神戸工場、日本パイプ園田工場、川西航空機宝塚工場などに送り込まれた。