NO25.外国人教師の辞任・帰国

INDEX>
外国人教師の辞任・帰国
 1937(昭和12)年7月7日、蘆溝橋における衝突を端緒に、日中戦争が始まったが、1938(昭和13)年4月に「国家総動員法」が発令されて、日本全体は暗い戦争の谷間に入っていった。1939(昭和14)年9月28日、学院創立50周年も、こうした準戦時体制のもとで迎えたのである。
 この創立50周年記念行事の一つとして、同窓会が中心になり、戦没同窓の尊い犠牲を永久に記念するために、中央講堂の東庭に旌忠碑(せいちゅうひ)が建てられた。その中央のブロンズ・プレートの正面中央には、八咫烏(やたがらす)の浮彫(意匠草案/真鍋由郎、福田稔作)を出し、その下に「旌忠碑」の題字が書かれ、碑面には学院開校以来の戦没同窓168人の名前が刻まれている。
 この翌年(1940年)から学院経営組織の中心である院長・学長・専門部長を兼ねたベーツ教授をはじめ、専門部神学部名誉教授のヘーデン教授、専門部文学部長のアウターブリッヂ教授、それに会計課長のミックル教授など、学院在職の宣教師全員が1941(昭和16)年春までにはすべて帰国するという事態となった。これは学院の歴史にとって空前の出来事であり、またそれまで学院は経営の責任をアメリカ・カナダに頼ってきただけに、大きな危機であった。
 ベーツ院長夫妻が1940(昭和15)年暮れに帰国したとき、神戸港の埠頭は別れを惜しむ教職員・学生生徒・同窓等で埋まった。一同はこれが最後の別れと思って涙を流していた。太平洋には戦争前夜の暗雲が立ち込めていたが、師弟の間に国境はなかった。
 そして学院の教学・経営の責任はベーツ院長から神崎驥一院長へとバトンタッチされていった。