NO20.校歌「空の翼」制定

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校歌「空の翼」制定
 上ケ原の新しい空気は、新しい校歌制定の機運を生んだ。従来学院では英語の歌詞による“Old Kwansei”が校歌として歌われていた。しかし、1900(明治33)年に初めて歌われ、日本の校歌のうちで最も古いものに属するこの歌は、アメリカ東部の名門プリンストン大学のカレッジ・ソング“Old Nassau”の歌詞と旋律を一部改編したものであった。新しいキャンパスにふさわしい日本語による自分たちの校歌を求めた学生会は、1933(昭和8)年応援歌を兼ねた新校歌の作成を計画し、同窓の山田耕筰に作曲を委嘱し、同氏の推薦で、詩人の北原白秋が作詞を引き受けた。
 この年の初夏の一日、二人は関西学院を訪れたが、空が青く澄み、早くも生育したグラウンドのポプラが薫風に羽ばたいていた。詩人白秋は、緑の甲山を背景にした学舎と、清冽な水が校内を流れるキャンパスの風景をしきりに嘆賞したという。新校歌は同年9月に完成し、作曲者の山田耕筰を学院に迎えて発表会が行われた。脈々たる自由の生命が上ケ原キャンパスにみなぎった。全関学人の胸に燃えてはいたが、表現の翼を持たなかった関西学院精神は、ここに力強い表現を得て、教職員・学生の一体感と母校愛は高揚した。
 その後創立50周年を記念して同窓由木康作詞、山田耕筰作曲の「緑濃き甲山」が作られ(1939年)、また60周年には英国の桂冠詩人ブランデン(E.Blunden)が寿岳文章教授との友情から来学し、“A Song for Kwansei”を作詞し、山田耕筰が作曲した(1949年)。そののち今日に至るまで数多くの応援歌、寮歌が作られている。