NO13.原田の森の校舎

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 草創期の校舎は、バラック同然の粗末な建物であったが、成長期に入った学院の教育振興のために、アメリカ、カナダの諸教会から、継続して多額の献金が寄せられ、原田の森に次々と美しい学舎が竣工した。1894(明治27)年建造の本館(後3階増築)とブランチ・メモリアル・チャペル(後図書館)は旧館の呼称で永く親しまれたが、チャペルに記念の名を冠したブランチ(J.Branch)は、原田の森校地購入に際して必要経費の大部分を寄付した米国リッチモンドの銀行家T.ブランチの令息で、親子二代にわたって学院に財政援助を与えた篤志家である。このチャペル建設の背後には吉岡院長の母堂幾久子の熱心な祈りがあったといわれている。

  その後カナダの教会が学院経営に参加(1910年)して以来、漸次煉瓦造りの新校舎、献金者の名を冠したキリスト教教育のためのハミル館、学生のための成全・啓明の新寮舎などが建設された。まず荘重な外観の神学館、次いで広壮な普通学部(後「中学部」に改称)専用校舎が落成、校地も2万5千坪(約8万2千㎡)に拡張されたが、不幸にして、1917(大正6)年2月、中学部校舎を焼失。被災2年後の再建を機に、同窓の醵金も加わり、さらに大講堂、学部となった文学部、同じくは高等商業学部の校舎が新築され、キャンパスは見違えるばかりに整備された。

  ある同窓は回想する。「赤煉瓦の建物が緑の芝生とすばらしい対照を見せ、絵画的な色調をたたえていた。・・・傾斜地のなだらかな線は柔らかく、美しい木の枝を通して摩耶山を仰ぎ、教室の窓から神戸港の光る波や行き交う船を眺めることができ
た」。

  国際都市として発展しつつあった神戸において、原田の森の大講堂で催される講演会、音楽会などは、新しい文化活動の中心的役割を担った。