NO6.高等学部商科の伝統

INDEX>

木村禎橘
 
創設初期の高等学部教職員・学生 1914.6

 新設の高等学部は文科と商科を設けることになった。時あたかも日本の資本主義興隆期にあたり、実業の盛んな阪神地区で、商科を設けることは教育政策上時宜を得たことであった。
商科の教育は、東京高商、その他既存の官公立高商の制度を参考にしながら、学院独自の米国風カレッジの特色を加味して、聖書、倫理学、心理学、社会学等の一般教養を重視し、英語による授業が多かった。そのほか初年度には中学校卒業生と商業学校卒業生とによって異なるカリキュラムを組んだ二部教育を採用し、最上級では科目を選択することができる制度を設けて特色を出した。
またクリスチャン・スクールの学風を確立するため、学生心得のなかで毎日チャペルに出席することと、禁酒・禁煙を励行したが、教師は学生をお茶の会に招待するなど和やかな師弟関係が樹立された。特に最初の学生心得第2項に「紳士の体面を保つべし」とあるのは高等学部の校風をよく示している。初期の宣教師の教師たちは学生を「ブラザー……」と呼び、握手を求めるなど紳士として遇した。これは学院教育の大きな特色といえる。
初期の商科教授木村禎橘の薫陶を受けた学生、卒業生たちが組織した「地塩会」は有力な同窓団体の一つとなった。また学院に隣接する神戸高商との関係で学生たちのライバル意識からする士気も大いに鼓舞されたのである。そこから1915(大正4)年に柴田享一(第1回の商科卒業生で、柴田文庫の寄贈者)らによって雑誌『商光』が発刊され、また全国的に名を馳せた有名なスポーツ選手も輩出するなど愛校心が高まった。