NO5.カナダ・メソヂスト協会、学院経営に参加

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カナダ・メソヂスト・ミッションの宣教師たち/1922(T11)
 
1922(T11)年頃の理事会
 
理事会記録


アメリカ、カナダに母体をもつメソヂスト主要3派(米国メソヂスト監督教会、同南メソヂスト監督教会、カナダ・メソヂスト教会)は、1907(明治40)年合同し、日本メソヂスト教会を結成した。それまでカナダ・ミッションは関東、北陸の各地で伝動・教育活動を進めていたが、その経営する東洋英和学校が皇民教育の政策に圧迫され、1895(明治28)年普通教育部門を東京の麻布中学へと移管したが、神学教育だけでは維持し難くなったため、日本における同教会の教育活動の行方が問い直されていた。
一方、20世紀に入り、次第にわが国の国公立学校が整備され、教育界における支配権を確立し、優秀な私立学校の台頭と相まって学校間の競合が熾烈になった。南メソヂスト監督教会もその教育活動は伸び悩み、物心両面にわたる伝道と教育の母体強化のために、カナダ・メソヂスト教会に接近を試み、協力体制づくりの具体的交渉が重ねられた。その結果、1910(明治43)年、「社団法人関西学院」による米加共同経営が正式に決定され、二つの教会はそれぞれ30万円を学院経営の基金として醵出した。
この間、合同案を支持し、関西学院の教育ミッションに積極的に参加することが、カナダ・メソヂスト教会にとっても大きな前進であることを強力に訴えたのは、カナダ・メソヂストの監事マッケンジー(D.R.MacKenzie)であった。のちに子息A.P.マッケンジーも学院で教えたが、このときベーツ(C.J.L.Bates)、アームストロング(R.C.Armstrong)、ウッズウォース(H.F.Woodsworth)、アウターブリッヂ(H.W.Outerbridge)など有力な宣教師の教授陣がカナダから加わった。