NO4.普通学部

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普通学部全学生/1906年(明治39年)
普通学部は今日の高中部の源と考えられているが、それだけではなく、ある意味では大学の源ともいえる面がある。すなわち、学院創立の際、神学部はBiblical Departmentと呼ばれた。これは当時の米国の教育制度の私立学校Academyに近く、中等教育だけでなく高等教育にもつながる学校と考えることができる。
その証拠に普通学部は開校の翌年、1890年(明治23)年に当時の公私立中学校に近づくように学則を改めたが、1894(明治27)年には、従来の予科2年、本科4年の課程のうち、予科を1年にした代わりに本科の上に高等普通科2年を設け、これは翌年普通学部高等科となり、1899(明治32)年には英語本科(専修科)、1904(明治37)年には、普通学部高等部と呼ばれるようになった。これはのちの高等学部に継承されていくことからも、普通学部は最初から、カレッジ課程を念頭に置いていたといえるであろう。
宣教師の報告によれば、最初の学生生徒数は神学部で5人、普通学部で14人(5ヵ月後に31人)と記されている。普通学部の初期の生徒の中には年齢も進み、人生経験においても、知的にも神学部生と変わらない成熟した者が多かった。「関西学院(キリスト教)青年会」の活動においても普通学部生と神学部生とは同等に活躍していたのである。例えばのちに童話作家として名を成した久留島武彦は普通学部在学中、日清戦争に徴兵され、その英語力の優秀さで通訳として面目を施したという有名な逸話がある。