NO3.日本人指導者たち

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中村平三郎


吉岡美國筆の「敬神愛人」の扁額


吉岡美國夫妻金婚記念
学院は米国の教会によって設立されたのであるが、米国人の宣教師だけで成立したのではない。この教育に心から賛同し、積極的に協力した日本人指導者を抜きにして関西学院の存在はなかった。伝道の情熱と開拓者精神に燃えた宣教師達と、新しい西洋の文化とその精神的基礎であるキリスト教信仰を求めた日本人指導者たちとの出会いから、関西学院の歩みは始まったのである。
その人物の代表として創立時の校主中村平三郎(1864-1929)、および第2代院長吉岡美國(1862-1948)を挙げることができる。
中村は学院創立に際しての設立名義人であるが、すでに南メゾヂスト監督教会につながり、大きな責任を負った熱心なキリスト教信者であった。しかも彼は神戸の有力な実業家でもあり、新しい学校を代表するのにふさわしい人物であった。彼は開校後、普通学部において英語・数学を教え、また新しくできた学院の「関西学院(キリスト教)青年会」にも最初の正会員として名を連ねている。
吉岡美國は京都の幕臣の家に生まれ、幼いときから和漢洋の学問に秀で、旧京都中学校(現洛北高校)を卒業し、母校で教鞭をとった後、神戸に来て、英文紙「兵庫ニュース社」の記者をしていたときにランバス父子に出会った。この運命的な出会いによって彼はキリスト教に入信し、メゾヂスト神戸教会(現神戸栄光教会)会員として学院の設立にもかかわったのである。初代院長W.R.ランバスが在任1年余りで帰国した後、彼は第2代院長として1892(明治25)年から1916(大正5)年まで、在任23年半の長きにわたり学院の校風を形作るのに中心的な役割を果たした。それは「敬神愛人」という彼が好んで記した書に象徴されているように、敬虔で固い信仰と、温厚篤実で慈愛に富んだ寛容の精神であるということができる。