NO2.初期の宣教師たち

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 ランバス総理は、1891(明治24)年1月に離日。結局、日本滞在は4年余りという短期間であった。アメリカ帰国後、伝道局総主事など要職を歴任、1910(明治43)年には監督(ビショップ)に推挙されたが、倦むことなく世界伝道に挺身、66年の生涯を文字通りキリストの「使徒」(遣わされた者)として生き抜いた。後を継いだ第2代院長吉岡美國とともに草創期の学院を育てた初代神学部長ニュートン(J.C.C.Newton 1848-1931)は、健康を害し一時帰国したが、再来日して第3代院長に就任。その純粋な信仰と高潔な人格によって多大の感化を与えた。初代普通学部長アトレー(N.W.Utley)が病を得たあと、ランバスに請われて第2代部長の任を負ったのは、大分中学校で「お雇い教師」として英語を教えながら伝道に従事していたウェンライト(S.H.Wainright)であった。後年教文館主幹を務め、わが国におけるキリスト教文化の振興にも多大な貢献をした。
「初代の学院にありては、教うる者も教えられる者も、ともに打って一団となり・・・・・・また、合衆国国民たる教員と相接して生活せしがため、国境を超越せる親愛の情の流露せしこと想像に難からず」(「40年史」)。
当時教鞭をとった米国の宣教師として、ほかにモズレー、デマリー(T.W.B.Demaree)、ブラッドベリー(C.M.Bradbury)、さらに、マシューズ(W.K.Matthews)、ガーナー(M.V.Garner)、第2代神学部長ヘーデン(T.H.Haden)、第3代普通学部長はへーガー(S.E.Hager)、ターナー(W.B.Turner)、タウソン(W.W.Towson)などの名が挙げられる。
J.C.C.ニュートン


S.B.モズレー


W.E.タウソン
S.H.ウェンライト


T.H.ヘーデン


T.W.B.デマリー