NO1.関西学院の創立

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 W.R.ランバス総理は、西日本における伝道計画の長期展望のもとに、牧師、伝道者の養成とキリスト教主義に基づく青少年教育を授ける男子の総合学園設立を企図し、時を移さず一気に準備を進めた。1888(明治21)年8月、第2回日本宣教部年会で正式に提議、熱烈な祈りによりまず自ら香港上海銀行から2,000円の貸し付けを受け、神戸市の郊外原田村(現王子公園の一角)に1万坪(約3万3千m2)の校地を1万円で購入。翌年米国バージニア州リッチモンド銀行家ブランチ(T.Branch)の献金により支払いを完了した。ここに木造2階建1棟(257m2)の校舎兼学生寮、平屋建1棟(190m2)の食堂などの建物が完成し、1889(明治22)年9月28日、兵庫県知事の許可を得て、関西学院が創立された。授業開始の10月11日、小さな学灯を囲んだのは、W.R.ランバスと5人の教授、19人の学生・生徒であった。
創設者 W.R.ランバス
創立当時の学生と教員/1891(M24) 創立当時の校舎

 創立時に制定された最初の憲法は、学院の機構について「神学部、普通学部ヨリ成リ、両学部同等ニシテ優劣ナシ」と定め、教育の目的を「基督教ノ伝道ニ従事セントスル者ヲ養成シ、且ツ基督教ノ主義ニ據リテ日本青年ニ知徳兼備ノ教育ヲ授クルニアリ」と規定している。「知徳兼備」の原文はintellectual and religiousとなっており、キリスト教に基づく高邁な全人教育の理想が読み取れる。折しも日本は、欧化主義の時代が終わり、帝国憲法の制定、教育勅語の発布など国家主義的風潮が次第に強くなりつつある時期であったが、関西学院は、この流れの中で国際性を旗印とした。校名を「クヮンセイガクイン」(Kwansei Gakuin)と呼ぶのは、命名当時、新進学徒の間で諸事漢音で読む風潮があったことに由来する。